2014年8月13日水曜日

チビナミ

私はあまり年の離れていない3人姉妹の真ん中で、
生まれた時には既に姉がいて、物心ついたころには妹がいた。

今この年になって、周囲にちびっこがいればわかるけど
きっと3人の子どもを育てるというのは生半可なことではなかったんだろう。

私が記憶している小さいころの母は、いつも怒っていて、チビナミは当然怒られたくないし
何より、私は母の笑顔が大好きだったから、どうしたら母は笑ってくれるかというのが
ちょっとしたミッションだったように記憶している。

今の母はまったくもって穏やかで、怒った母を最後に見たのがもういつだったか思い出せない。
そんな母を傍らで見ながら、本当にこの人はすごいと、偉大だと思う。

そんな風にして、私は大人と呼ばれる生き物になって、母が今の私の年齢の時、私は既に
小学校にあがろうとしていた。


そんなチビナミのミッションに対しての対策を、大人ナミは思い出そうとしているが
どうしてもわからない。

子供は経験も少ないし、脳みそも大きくないし、大人より単純だから
きっと対策なんてないし、必死だっただけなんだろう。

私は大人になってしまって、考えすぎて、その数だけ臆病になってしまったから、
人とも自分とも付き合うのに頭でっかちになってしまっている。

ちょっとしたことでつまずいて、しゅんとしてるところだけ、いつまでたっても子供のままだ。
いつまでたってもチビナミだ。


でも残念ながら私はチビではない。
それなら、今、目の前にある問題に、きちんと向き合わなくてはならないのだろう。

その先にこそきっと、かつての母の笑顔があるんだろうから。

2014年5月13日火曜日

やぁ。

年月が過ぎることを意識しなくなったら、1年があっという間に過ぎるようになった。
そんなことを思っていたら、劇団を作ってから、もう10年以上が過ぎた。
私が過ごしていた時間は、本当に10年だったんだろうか。
 
#14が再来週になっている。
結構、悪戦苦闘している。私も役者も、舞台もSTAFFも。
年月が過ぎることをすごく意識している今だって、時間はあっという間にす過ぎていく。
私は、すごくすごく、すごいと思った。
何がって言われたらよくわかんないし、このすごいは、もしかしたら肯定ではないのかもしれない。
それでも、すごいと思った。
 
そして、今回の公演を通過したときの自分と、ふと目があった。
あの自分は、どんな気持ちでいるんだろうか。
 
 
惰性は嫌いだ。
待つことも、大嫌いだ。
本番はやってくるんでなくて、自分が迎え入れるんだ。
自分が足をあげて、やぁと、声をかけてやろう。
 
 
 
 
 
 

2014年4月25日金曜日

事件が起こる。

この前の日曜日、今回の本番会場になるギャラリー矢田の下見に行ってきた。
以前に既に一度見てきているのだが、改めて見に行って、そのでかさにやっぱりびっくりする。

普段練習に使っている場所と、だいたい同じ大きさのはずなのに
こんなにも広く感じるのは、やはり天井の高さと、全面白であるが故の膨張感なんだろう。

ここに、舞台美術の野地恵梨子が創る空間が組み合わさって
そこに役者がのっかると。

もう、そわそわするしかない。

あ、そうそう。
そろそろ、役者紹介も、こちらとか、ツイッターを使ってやっていこうと思っている。

今回の役者の化学反応は、本当にすごい。
1+1+1+1+1+1が、6になっていない。
かといって1でもない。

もう、これは。見ものだとしか言いようがない。

普段、そんなに自分の作品のハードルをあげることはしないけど今回は敢えて言おう。


これはたぶん、ちょっとしたことになる。



2014年4月20日日曜日

日々 麻原奈未の。

日記というものをまともにやったのは、それこそ小学校の夏休みくらいで
もともとめんどくさがりだった私は、なかなかそれが習慣になることはなかった。

むしろ文章はめっぽう苦手で、日記は典型的な今日何があったかを書いただけの文章で
読書感想文はあらすじだらけだった。
あほだった私はそれを先生にしてきされても、“あらすじ”という言葉の意味がわからず
皮肉にもそのタイミングで初めて“あらすじ”という言葉の意味を辞書で調べたりした。

でも、ごくまれに、本当にごくまれに、文章を先生に褒められることがあって
でも、特にうれしいという感情はなかった気がする。
どちらかといえば、怒られなくてほっとしていた。


考えることも妄想も、たぶん人よりは多い方で、
一人で勝手に一喜一憂してたり、ほくそ笑んでいたりする。

それなのに、というより、それだからなのかもしれない。
自分の中で結論付いてしまうか、もしくは自分の中で考え続けているから、
それを誰かと共有することがそれほどないのかもしれない。

それでも最近は、きれいな景色や、暖かい日差しや、素敵な人に会ったことや、
すごく残念だったことや、新しい文化や、変わらない名作や、変わっていく日常や、
変わっていないつもりだったことが変わっていた事実や、置いてけぼりの概念や
何てことない奇跡に出くわしたことを、伝えたいと、思ったりするのである。

今日は久しぶりに聴いた洋楽のCDが思ったよりしっくりきて、部屋の掃除をそっちのけにして
突然、久しぶりにこうして、日記と向き合ってみた。
そしたら、その日記に、約半年前の自分がいて、そいつもやっぱり、CDを聴いていた。


久しぶり。


私はまた、芝居を作り始めている。

今週末から、チラシの折り込みが始まった。
劇団オートバイ、実に3年ぶりの本公演。

はじめまして、劇団オートバイと申します。

 





2013年10月15日火曜日

そんな日は


ただ好きな音楽を聴くために


1曲ごとに


何度だってCDを入れ替えてみるんだ。


そうでしょ。

2013年9月9日月曜日

セブンスコード

久しぶりに演出をしている。

よこしまブロッコリーさんのイベントに参加させてもらうことになった。
本当に久しぶりだったからだからかもしれないけど
本当に、楽しい。

おもしろい人々と作品を作っていることと
自分が描いた本ではない作品を演出していること。

それによって、自分以外の要素が多くなってるから、楽しい。
自分以外の要素をどんどん強くしていって
それぞれの要素がどんどんおいしくなって

全部が1個になったときに、ちょっとだけ私が見えるような
そんな程度に私が見えたらいいなと、思っている。


セブンスコードみたいな芝居が創れたらいいなぁ。
ずっしり地に足をつけるというよりは、ちょっと余韻が残るような
ちょっと胸が痛いような。


きっと、とても楽しい作品になる。



2013年8月26日月曜日

私だけ、面白い。

当たり前だけど、よいと思う基準は山のようにあって
それが合致することはもしかしたら奇跡なのかもしれないって思う。

今、一つ台本を書き終えた。
時間にしてみたらおそらく20分くらいの超短編だと思う。

正直、私は面白いと思う。
でも、たぶん私にしか面白くない作品だと思う。
私だけは、確実に面白いと思える作品なのである。

でも、台本であるということは、一応、演劇になる前提で書いた台本で
一人芝居ではないので、それを一緒に作っていく人がいる。
そして、それを見てくれるお客さんもいる。

そういうことを踏まえて、これ、はたして面白いのだろうかと思ったら
やっぱり手放しで自信は持てないのである。

ひとかけらでも、これは間違いないって自信を持てたらいいのに。
そしたら、そのひとかけらを大切に温めながら、胸をはれるのになぁ。

こういう時に、感覚で物の良し悪しを判断してきた人間は弱い。
きちんと言葉でよいところを表現できないから。

でも、これは良い機会だ。
私が面白いと思った理由を、もう少し探ってみよう。
そしたら、もしかしたら、私しか面白くない作品が、
もう一人でも面白いと思ってもらえる、そんな奇跡が起こるかもしれないんだから。

よし。あと一息。